第二部 ジェイムズ経験論の周辺
第七章 ジェイムズと西田幾多郎
Ⅰ 序説
あらゆる人間は歴史的存在であり、意識的であれ、無意識的であれ、過去を引きずりつつ未来のために自分が感じとった真理を社会に披瀝する。それが己れの生に関われば関わるほど、その真理を伝える思想は己れに固有のもののはずなのに、同じ時代的社会的背景にある場合、必ずと言ってよいほどに、同じ真理を披瀝する者がいるものだ。奇妙にもそうなると巧妙争いが起こり、誰が最初に言ったのかとか、影響を与えた方は誰なのかと言った如くかまびすしくなるのは、人間におけるいかなる性のせいなのだろうか。本書の主人公であるウイリアム・ジェイムズの場合でも、かの有名な「情緒説」(1)の提唱を巡って結局は「ジェイムズ─ランゲ説」として落ち着いたし、本書自体にもフッサールやベルクソンとの比較研究において、そう言った視座のもとで取るに足らぬ論議を展開している箇所がなくもない。
私自身の弁明を許してもらえるなら、それは、思想の解説者として正確さと厳密さが要求されている以上は当然の方法であるとも、また「思想」も人格に等しいものをもっている以上はその名誉を守るための礼儀であるとも言えるかもしれない。しかしながら私におけるそう言った気遣いも本章で最後となろう。
『ジェイムズと西田幾多郎』と言うのが本章のテーマであり、その中で私は、とりわけ彼ら二人が共に哲学における認識論的、形而上学的な考え方の基礎としていた「純粋経験」の問題について焦点をあて、その比較検討を行って見ようと思う。それに際し、あらかじめ断っておかねばならないのは、本章もまた私が以前に刊行した『ジェイムズ経験論の諸問題』の補遺(2)としての性格をもっているため、論述の展開がジェイムズの「純粋経験」に対する考え方に依拠したものによってなされているということである。従って、多分に一面的な見方に終始している狭溢さをもっているきらいがあるものの、他方では本章がジェイムズ思想をかじった者による西田の「純粋経験」の見方のサンプルの一つであると考えてもらえれば、別の意味での意義はあるのではないかと私は思っている。
そうは言っても、小論にすぎない本章が「純粋経験」についての二人の考え方を細部にわたって深く追求しているわけではなく、いわば両者の関係をエピソディックに綴っているにすぎないという荒っぽさをもっているのも事実である。幸いなことには、近年、所詮「西田哲学」に関する研究が、その弟子達によってばかりではなく、孫弟子やその他の人達によってもなされているし、その中には必ずといっていいほど、ジェイムズとの関係も述べられているところから、学究の徒には、両者の関係を知る資料に事欠かないであろう。(3)その意味では本章が両者の関係を述べた数多くある論文の一つにでも数えられれば、もって幸いとされねばならないであろう。
Ⅱ 「生の研究者」としてのジェイムズと西田
さて、まずわれわれは本章のテーマに入る前に、「純粋経験」といわれるものが一体何を意味しているのかについてからあきらかにしていかなければならないだろう。純粋経験の信奉者が分析的立場に立って経験について考えてみた場合、彼らは経験には直接的経験と間接的ないしは反省的経験の二つがあることを特に強調する。というのは彼らは、経験と言われるものがすべてわれわれの「反省」の作用の入ったものによって成りたっているという考え方に強く反発しているからである。その際、もちろん彼らは反省作用の介在しない直接的経験の存在を重視するのであるが、さらに徹底して、この直接的経験こそが真の経験であるとする思いから、これに「純粋の(pure)という形容詞を与えたのではないかと思われる。しかし彼らのこの考え方は一般的にも認められ、純粋経験は直接的経験の別称となったのである。それ故、純粋経験はほとんど直接的経験の意であり、具体的には、主格未分の原初的事実の存在性を明白なものとして認める立場に基づいて説明されていたのである。
周知の如く、この「純粋経験」という言葉が哲学的市民権を獲得するようになったのは、R・アベナリウスによって主張された「経験批判論」に起因している。彼は『純粋経験批判』を著すなかで、すべてのアプリオリズムや形而上学的な範疇を経験内容から取り除くと、残ってくる感覚的な働きにすべてが依存してくるし、それによって与えられたものが純粋経験と言われるものであると考えた。E・マッハはアベナリウスとは独自の立場から同様のことを考え、それを「要素」という物でも心でもない中立的なものと見、それが物になるか心になるかは、その「函数的依属関係」によって決められると考えたのだった。(4)
彼らのこのような考え方の背景には、合理論と経験論あるいは唯物論と観念論と言った哲学上の確執に対してそれを超克すべく新たな動きがあったのは確かな事実であろう。そしてこの「経験批判論」は大陸で考えられたものの、経験論の系譜にあり、それの不備を正す形で現れており、その意味ではジェイムズ経験論と同じルーツをもっていたといえよう。哲学史的にはこの「経験批判論」はレーニンの『唯物論と経験批判論』によって中立的という名の主観的な観念論であるとして批判されて有名になったものの、それ自体は大きくはならず、むしろ彼らの後の時代の人や思想に大きな影響を与える先駆者思想の役割を果たしたにすぎなかった。
しかしながら、見ようによってはこの純粋経験の考え方は(後のジェイムズのそれを含めて)、言葉として定着しているかどうかは別にして、西洋における当時の哲学的世界では、新たな形の合理論に対立する新たな形の経験論であると考えられなくもなく、その意味では広いすそ野をもっていたわけである。それ故に、遠くにいて物事を見られた西田幾多郎をして、立脚点を異にした「認識論の学派」が二つあり、それらは「純論理派」と「純粋経験派」(5)であると言わしめたのだと言ってしまうのは、純粋経験の考え方を支持したいとする私の独り合点だろうか。
私自身もこの西田幾多郎の考え方に一面の真理が認められるような気もする。なぜならば、純粋経験の概念とは経験論的思考における異端的なそれであると言うよりは、逆に、文字通り経験をありのままに見、且つ経験にあくまでも即しようとするならば、当然生まれてくると考えられるような一つの考え方であるからである。こういった考えが勢力的にならなかったのは、ジェイムズの立場に立って考えれば、やはり、哲学における主知主義が睨みをきかしていたからに他ならなかった。さらに一般的には、われわれの生活の中にいささかの反省を含まないところの経験というものが実在として認められるという考え方がなまじなかったからでもあろう。(6)
しかしながら、仮に西田の言う「純粋経験派」が勢力的にならなかったとしても、後の分析哲学や論理実証主義を生む地盤的役割を果たしていたことは紛れもない事実であった。私の思うに、これら分析哲学や論理実証主義はまさに主知主義的傾向を帯びるようになったからこそ、現代の経験論哲学を代表するようになったのではあるまいか。
「純粋経験」を巡る地平部分(ジェイムズに言わせれば辺縁の部分)の考察はこれくらいにして、われわれはいよいよ本題に入らねばならない。まず、西田幾多郎はこの「純粋経験」についてはどのように考えていたのであろうか。一九一一年(明治四四年)に刊行された彼の著『善の研究』の第一編の冒頭においては、次のように論述されている。「経験するといふのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋といふのは、普通に経験といって居る者も其実は何等からの思想を交へて居るから、毫も思慮分別を加へない、真に経験其儘の状態をいふのである。例へば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、我が之を感じて居るとはいふような考のないのみならず、此色、此音は何であるといふ判断すら加はらない前をいふのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主も客もない、知識と其対象とが全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である。」(7)
もっとも、この著書の刊行以前に『純粋経験と思惟、意志及び知的直観』(一九○八年)及び『純粋経験相互の関係及び連絡に就いて』(一九一○年)の論文が発表されており、さらにそれ以前にも西田が「まだ高等学校の学生であった頃、金澤の街を歩きながら、夢みる如く」(8)かかる純粋経験の世界についての考えに耽ったことを考えれば、哲学者になろうと志した二十年前からの、そして彼の終生の哲学的課題として、この考えは彼の思考の対象でありつづけたと判断してもまちがいではない。とはいえ現実的に『善の研究』に見られる純粋経験の考えは、マッハ、とりわけジェイムズの影響をうけていたのは確かである。
それはなぜか。西田がジェイムズに興味を抱いたのは、次のような西田自身の煩悶にジェイムズが応じてくれると考えたからであった。「小生昨年の中にかの有名なるOtto
Pfleidererの宗教哲学を一読したが、いかにも論理明晰首尾貫徹しよく整頓せる書物なるが唯それまでの事にてどうもreligious lifeの味を知りたる人とは思はれず。logical
syllogismはいかに精細確実なるも何だか造り花でも見たような心地、読了りて何等の得る所なし。……いまの西洋の倫理学といふ者は全く知識的研究にして、論議は精密であるが人身の深きsoul
experienceに着目する者へもあるなし。全く自己の脚根下を忘却し去る。パンや水の成分を分析したるもあれども、パンや水の味をとく者なし。総に是虚偽の造物、人心に何の切能なきを覚ゆ。余は今の倫理学者が学問的研究を後にし先づ古来の偉人が大なるsoul
experienceにつき其意識を研究せんことを望む。是即倫理の事実的研究なり。レッシングが古代の美術につきて美を論ずるを読めばハルトマンが審美学をよみしより幾層の趣味を感じ又美の真義を知りうるなり。余は倫理学より直ちにmoral
experienceを論ぜるイハバ画論の如き者を好む。而もかくの如き書は実に少し。近頃徒然にダンテの神曲をよむ。ダンテの如きは此のexperienceを有せる一人ならん。余常にショウペンハウエルの意志を根本となす説及其reine
Anschauungの説はヘーゲルなどのIntellectを主とする説より遙かに趣味あり且つdeepなりと思ふがいかん。」(9)
この長い告白は、結局は「lifeの研究者とならん」(10)とした西田の精神の中をよく伝えている。そしてわれわれはこの彼の考えとジェイムズの考えとが全く一致していることから見て、純粋経験の概念が両者からそれぞれの、だが共通した思惑において生まれでてきたのも不思議ではないと判断できるであろう。
しかしながら西田の純粋経験説は、結果的には、ジェイムズのそれを全く踏襲していると言われても、西田以前にジェイムズが純粋経験説を発表しているという歴史的事実からして、やむをえない見方であるとせざるをえないであろう。(11)事実、西田の『善の研究』にはジェイムズの『心理学原理』の中の『意識の流れ』の考えや、『宗教的経験の諸相』の中の神秘的な考えや、『根本的経験論集』の中の『純粋経験の世界』の考えを引用、借用することによって、西田自身の考えが述べられているからである。とはいえ、われわれは西田の考えがジェイムズの考えの亜流であると言っても、それでもって西田を責めるわけにはいかないだろう。(12)なぜならば純粋経験についての考えは、先にも述べた如く、反省が入る前のある経験に対する即物的なとらえ方であり、従って誰もがそれぞれのイメージによって捉えうる経験についての原初的な事実の叙述であるからである。たとえば、われわれは二人の次の言葉を比べて見よう。
「フェヒネルは或朝ライプチッヒのローゼンタールの腰掛に休られながら、日麗に花薫り鳥歌ひ蝶舞ふ春の牧場を眺め、色もなく音もなき自然科学的な夜の見方に反して、ありの儘が真である昼の見方に耽ったと自ら言って居る。私は何の影響によったかは知らないが、早くから実在は現実そのままのものでなければならない、所謂物質の世界といふ如きものは此から考へられたものに過ぎないといふ考を有って`た。」(13)
「もし概念的なあらゆる解釈を捨象し、この瞬間において直接の感覚的な生の中へ逆戻りすることに成功しうるならば、それは花が咲きみだれ蜂が飛びかうとてつもない混乱状態とある人が言ったところのものであるとわかるだろう。かかる生は其の状態の『多即一』においては、全く生き生きとし、且つ明白に現存している程に、矛盾から解放されている。」(14)
前者が西田幾太郎、後者がジェイムズの言葉である。とは言っても、われわれは余程の専門家でない限り、前者がジェイムズ、後者が西田幾多郎であると言っても、そのまま見過ごしてしまうであろう。それほどに、これらの言葉は、表現のニュアンスこそ違え、まさに共通の経験的事象に対して共通の方向づけをもっていた者のみが言いえるそれであったのである。それ故、西田とジェイムズは、西田の言うところの「lifeの研究者」賭して、同一の視点に立っていたのである。その意味では、日本人による多くの「西田」論に述べられているように、西田はジェイムズの思想が自分のそれとほぼ似かよっているという判断によって、それを利用したのにすぎなかった、とも言いえるのである。
Ⅲ 二人の「純粋経験」説をめぐって(1)
それでは西田における純粋経験の概念とは具体的に何を意味していたのであろうか。西田の場合においては、純粋経験は単に意識現象そのものの立場に立って考えられていたのではない。従って、それは単なる心理主義によっては解明されえない超越的な(換言すれば超心理的な)内容を包摂しているように思われる。そして西田の精神の内部においては、たしかに純粋経験が唯一の実在としてとらえられ、そこから所謂反省的経験と言われるべき彼独自の「経験」説が導出されようといているのであるが、その根底にあったのは、常識的な意味での経験的立場であったと言うよりは、彼の集大成的概念である「統一的或者」の立場の肯定であったと一般的に見られている。
『善の研究』の第二編(実在)を書いた動機について、西田はその著の序文に次のように書いている。「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明したいといふのは、余が大分前から有って居た考であった。初はマッハなどを読んでみたが、どうも満足できなかった。其中、個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別より経験が根本的であるといふ考から独我論を脱することができ、又経験を能動的と考ふることに由ってフィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかの様に考へ、遂に此書の第二編を書いたのであるが、その不完全なることはいふまでもない。」(15)
西田のこの謙虚さは逆にジェイムズの考えからの独立の挨拶であり、『善の研究』刊行の当初は、西田がミュンステルベルヒの心理学やヘーゲルの論理学に関心をもっていたが故に生じる弁明のようであったが、刊行以後の西田にあっては、むしろ、フィヒテ以後の超越哲学とも調和しえる部分こそ、自分の純粋経験の本質を伝えていると、断定しえるまでの自信に変わってきていたのである。
昭和一一年、『善の研究』の版を新たにするに当って、彼はその序文に次のように述べている。「今日から見れば、此書の立場は意識の立場であり、心理主義的とも考へられるであろう。然非難せられても致方はない。併し此書を書いた時代に於ても、私の考の奥底に潜むものは単にそれだけのものではなかったと思ふ。純粋経験の立場は『自覚に於ける直観と反省』に至って、フィヒテの事行の立場を介して絶対意志の立場に進み、更に『働らくものから見るものへ』の後半に於て、ギリシャ哲学を介し、一転して『場所』の考に至った。そこに私は私の考を論理化する端緒を得たと思ふ。『場所』の考は『弁証法的一般者』として具体化せられ、『弁証法的一般者』の立場は『好意的直観』の立場として直接化せられた。此書に於て直接経験の世界とか純粋経験の世界とか云ったものは、今は歴史的実在の世界と考へる様になった。行為的直観の世界、ポイエシスの世界こそ真に純粋経験の世界であるのである。」(16)
これは何を物語っているのであろうか。西田とジェイムズは同じ事象から出発しつつも、純粋経験にいかなる内容を賦与するかの違いによって、見ようによっては全く相反する結論を導き出していたのである。ジェイムズは自らの経験的立場をも放棄する形で純粋経験の説をうちだした。ジェイムズにおける究極の問題はデカルトの「我考える」に導出される抽象的自我の想定を否定する中で、いかにして経験の能動性を具体的実在として見いだすかであった。そのためには、唯名論的に存在を個物としてとらえる視点が不可欠であったし、生の流れの中にあって可感的直接的な、あるいは身体的といってもよい体験を通して実在性を見いだすという方法の採用以外には、ジェイムズは自らの道を確定しえなかった。
それに反し、西田は経験を必ずしも特殊なものとは考えていなかった。それ故、西田は一面新カント主義、新ヘーゲル主義と対決しながらも、最後には新ヘーゲル主義のH・グリーン等の考えによって、純粋経験が「統一的或者」と和解することができると考えた。この根拠は、経験とは感覚とか言うものが無反省的に具体的、且つ特殊的であるということが、絶対的に正しいと見なされてよいものかどうかについて特に思念をもった西田の注目すべき考え方に見いだされねばならない。(17)
西田によれば、経験ないしは感覚の具体的なものを基礎として考えることもまた、「一種の論理的限定」によっていたし、そのためその具体的なものが実在的であると言われうるためには、「直観とか自証とかいふも具体的論理の一面である」とされなければならなかったのである。(18)
従って西田が「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人ある」と言い、それでもって「個人的区別より経験が根本的であるという考」を導きだし、唯我論を脱しえたと言ったとき、その経験の意味していたものは、ジェイムズとは全く異なるところの、そしてジェイムズにとれば「よそよそしい」(19)ものであったのである。
普通の経験論的立場を徹底した際、唯我(独)論が導出されやすいのは一つの事実である。たしかにそれは経験を感覚的に捉えようとする独善的態度によっているのかもしれないが、逆に経験が根本的であるという考えでもって唯我論を脱しえるとするならば、その経験は絶対的観念論者の好きな超越的なものに依拠せねばならなくなると言われても仕方がないであろう。
かかる言明の生じるのもまた、西田から言わせれば、常に経験を具体的であるとする論理的限定のせいであるのかもしれないが、ジェイムズをして言わせれば、西田のような考えによって具体的普遍と言われる如きヘーゲルの考えが経験についての規定に導入されているからだと言えるであろう。
たとえば、純粋経験の概念の中で中心的な働きをする「意識」の問題をとりあげてみよう。西田は純粋経験の総合の範囲を説明する際に、それを意識されない対象にまで拡大しようとする。ところがジェイムズによれば、純粋経験はわれわれに可感せられる時間的継起の中においてだけ認められる。ジェイムズにとっては純粋経験はただわれわれに見えるがままのものからつくられているが、しかしその限りにおいては、常にわれわれの注意が必要条件として働いていなければならないことが付言されている。なぜならば純粋経験はそれを体験する当事者によって知られ、報告されねばならないからである。
それ故、ジェイムズの場合は、西田も認めるように文字通り「純粋経験の範囲は自ら注意の範囲と一致し」(20)なければならなかった。そして常に意識の焦点が時間的継起と共に現在的なものとして移行していた(もっとも意識の周辺もそれにつれて移行するのであるが)。(21)従って、ジェイムズにあっては、いかに純粋経験が主格未分の状態をその本源的性格としているにせよ、西田が言うところの「一生懸命に断崖を攀づる場合」(22)ないしは「音楽家が熟練した曲を奏する時」(23)は、純粋経験の例としてあげるにふさわしくはなかったのである。
勿論、それらが主格未分の状態にあるとの判断から、それらを純粋経験として見ていくコンテキストに論理的不整合性は見られないかもしれない。だが、それは、一つの考え方として認められたとしても、ジェイムズにとっては無意味なのである。というのは、断崖を攀づる者にとっても、あるいは音楽家にとっても、純粋経験は知られねばならないにもかかわらず(ジェイムズにおいては経験とは単に存在しているのみならず、われわれに知らされて存在するという公準がある)、西田の意味する純粋経験は、それを体験する当事者を超えたものとして認識されているからである。
このことは、極言すれば、「一生懸命に断崖を攀づる場合」あるいは「音楽家が熟練した曲を奏する時」とは、西田にとれば純粋経験の範囲に入るかもしれないが、それらは単に現象している事実をなにものかが叙述したものにすぎず、従ってそれらを純粋経験とするのにわざわざその現象を見つめるなにか普遍的なものの想定を暗示していると受けとれないこともないのである。即ち、そこでは純粋経験は個人の経験の特性によってあきらかにされるというよりは、主格未分の状態を最初の経験論的段階とする、なんらかの精神の統覚作用及びその作用の主体に依存しているとも言われよう。
さらに西田の純粋経験の考えは「フィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかの様に」考えられるに至って、ジェイムズとの差異を大きくするばかりである。この考え方が導き出されたのは、経験が個人を離れてありうるという最初の西田の信念によるだろう。否それ以上に西田にあった論理的なるものを出立点としつつも、彼なりの実在論をうちたてようとする哲学的態度にあったのかもしれない。
その結果、西田は彼の純粋経験における実在の問題を論理的なそれとして根拠づけようとする限りにおいて、単にわれわれの経験と言われるものの中においても絶対的なものを見いださなければならなくなってくるのである。その意味では、経験の能動性という考えが意志の働きの積極的評価によって生まれでるという純粋経験の別の見方も、西田にとれば、その意志がジェイムズの言うようなきわめて人間的な個人的(パーソナルな)意志としてあるのではなく、「絶対矛盾的自己同一」をも可能にする絶対意志としてうけとられることによって意味をもってくることになるのである。即ち、西田は経験を能動的であると見なすことによって彼自身の意味する経験の実在性をあきらかにしうると考え、それによって「フィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかの様に考」えたが、その背景には絶対意志にうらづけされた超越的な見方が存在していたのである。(24)
Ⅳ 二人の「純粋経験」をめぐって(2)
それはさておき、西田の哲学的野心は真に具体的な実在の論理を求めることにあった。しかし、ジェイムズの如く、具体的実在を経験の特殊性の中にしか見れない、と考えることはできなかった。西田にとれば、「真の具体的論理に於ては、既にヘーゲルもいった如く個物が一般であり、一般が個物であり、主語が述語であり、述語が主語でなければならな」(25)かった。かかる結論は主格未分の状態から出発し、いかにしてその直接の具体的立場を哲学的に把握していくかの模索を経て導出されたのであろう。
西田は、最初は純粋経験の主観主義的性格に呷吟し、アリストテレス的論理を経て、ヘーゲルの弁証法的論理に一つの光明を見いだした。そして自然科学的立場に立つ具体的実在性を否定し、現象学的に「志向的体験の立場」にたって、客観的実在性を否定する中で具体的実在の論理をまさに自己の論理としてうちたてようとしたのである。そしてついには、経験を具体的普遍としてとらえる考え方の中に純粋経験の基本的なあり方を見いだしたのである。
このように見てくると、われわれは西田の純粋経験の考えがある面においてヘーゲル的でもあることに気づくだろう。純粋経験そのものの考えがヘーゲルから生まれでうるかどうかは疑問である。しかし西田にあっては、マッハの感覚論的実証主義やジェイムズのプラグマティックな認識論より生まれでる純粋経験の考えでもってしては、唯我論からのがれられないという判断から、ヘーゲルの論理学との妥協、従ってH・グリーンの絶対主義との妥協が、彼の実在観に裏うちされた純粋経験の考えをうちたてるに必要であったのは事実であろう。
面白いことには、この事実が逆にジェイムズとヘーゲルとを結びつけるという奇妙な皮肉をもたらしている。(26)周知のように、ジェイムズはヘーゲルの考えに反対している。しかしヘーゲルにも好意的であった西田は、自説を展開する過程でジェイムズの純粋経験の考えの中にもヘーゲル的なものが見いだされる(ジェイムズはそれを意識していないが)と判断していたのではあるまいか。その結果、西田はジェイムズの純粋経験の考えを全く自己流に解釈することができたのである。その意味では、西田がジェイムズの「哲学研究に転じたり」(27)をきき、ジェイムズに一層期待するようになり、ジェイムズのmetaphysicsの完成を待ち望んだ如く、西田にとって、ジェイムズはある意味での哲学の師でもあったのである。
ところがジェイムズは、西田のように、純粋経験がなにか普遍的なものによって規制せられていると考えていただろうか。ジェイムズによれば、純粋経験とはわれわれに見えるところのものからなりたっているのであった。西田の言うように「統一作用が働いて居る間は全体が現実であり、純粋経験である」(28)と言われる如き規定を一方的にうけるものではなかった。もしわれわれの経験において統一作用が精神の重要な働きであるとするならば、分離作用も同等に認められるべきであった。しかしいずれにしてもこれら両作用は、ジェイムズの反主知主義的な考え方からすれば、経験論的見地からはなれて働く危険性を多分に有していたのであり、結局は西田の考えるものそのままではないにしても「統一的或者」を要請して、自らの論理的破綻を解消しようとする傾向にあったのである。
それ故に、西田が純粋経験の性質をあきらかにしようとして「意識の体系といふのは凡ての有機物のやうに、統一的或者が秩序的に分化発展し、其全体を実現するのである」(29)と言ったとき、それは意識の心理学的事実の象徴的叙述である以上に、ヘーゲル的な「絶対的観念論」の色彩を帯びた主張であると言われねばならないのである。
とはいえ、巨視的に見るならば、西田の純粋経験の考えは、いかにジェイムズの反主知主義的なそれと異なっていたとはいえ、lifeの研究者として事象をとらえる姿勢においては同じであった。なぜならば彼らの純粋経験は同じ根をもっていたのであり、ただ結果と志向するところのものが異なっていただけだからである。もっとも、ジェイムズからすれば、西田の考えは経験論的立場を徹底しえず、従って主知主義の残滓が残っているとして、あのヘーゲルやグリーンが批判されたのと同じように、批判される性質をもっていただろう。しかしながら、西田がヘーゲルやグリーンやロイスの思想と妥協したというよりも、彼自身が陽明学の知合行一、禅に見られる身心解脱の境地から影響をうけることによって、(30)彼なりの純粋経験の考えをつくりだしている(従って西田哲学を誕生させている)ということをジェイムズが知ったならば、ジェイムズはベルクソンへのような共鳴を感じないまでも、変わった評価を西田に対して下していたかもしれないという仮説をうちたてることができるであろう。
もとより、ジェイムズは西田を知っていたわけではないから、そう言う仮説そのものを打ちたてることが不可能であったが、私としては、せめて彼が東洋思想の一端なりとも知っていてくれたならと、残念な気がしてならない。というのは、全部が全部というわけにはいかないだろうが、この「純粋経験」の考え方は東洋的思考方法と奇妙にマッチしている面も窺えるからである。
鈴木大拙は「東洋の真理」が総合的、当体的、合一的、未分化的、演繹的、非体系的、独断的、直観的(情意的)、言あげせず、主観的、精神的に個人主義的、社会的に集団心理的であると言っているが、(31)一部を除いて、それらは純粋経験においてこそ理解されるべき特徴であるといっても過言ではない。一つの可能性として言わせてもらえるなら、もしジェイムズが純粋経験における実在性の説明についてあれほど迄に苦慮するに至らなくとも、東洋の識者が事も無げに了解してしまう事実に遭遇したならば、彼のプロパガンダはもっと違う方向へいっていたかもしれない(しかしながら、同時にジェイムズが西田の純粋経験説を実際に知ったならば、西田の西洋ナイズされ主知主義化された教説に見向きもしなくなるかもしれない。だが、それは詮索好きの後世の人間のあて推量でしかない)。
いずれにしてもわれわれは、図らずも東西の二人の人間が「純粋経験」という言葉で実在的なものを把握しようとしていた事実に注目し、その比較研究を行ってきた。私自身、東洋の人間でありながら、西田の考えに精通しておらず、従って東洋の(というよりは日本の)不二の精神が「絶対矛盾の自己同一」という見事に西洋ナイズされた表現によって具体化されていることが未だにピンとこないのであるが、それでも彼の純粋経験説はその不二の精神に支えられていることには違いはないと思ってみたりしている。
他方、ジェイムズの純粋経験説に対しては、彼の驚嘆すべき主知主義批判を了解しているにもかかわらず、依然として、たとえばフロイトのリビドー説の如く、それはなんらかの存在を解釈するための理論的前提ではないのかという思いを捨てきれないでもいるのである。私にとって、本章ほど思想の解説者としての自覚に冷水を浴びせかけるテーマはなかったのである。
注
(1)この情緒説は一般に「われわれは悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」という例えでよく知られている。一八八四年に『マインド』誌に発表された『情緒とは何か』(後に『論文と評論』に収録)の中で述べられている。だが、ここでジェイムズが言おうとしていたのは「身体的変化とそれに伴う感じから分離された情緒は考えられない」ということだったようである。
(2)拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第二章、第三節『純粋経験の世界』の補遺として考えていたのである。
(3)とはいえ、高坂正顕をはじめ、下村寅太郎、吉田光、山田宗睦、上山春平等のそうそうたるメンバーによる「西田」論は西田に即したそれであり、従って西田の「純粋経験」説についてもジェイムズのそれとは異質の独自性をもったものであること、いいかえれば、東洋的、日本的なそれである旨を強調している。
(4)例えば、色は光源との依属関係において見れば物理学的対象であり、網膜のそれにおいて見れば心理学的対象であり、二つの領域において異なるのは、素材ではなく研究報告であると、マッハは言っている。詳しくは彼の著『感覚の分析』の第一章『反形而上学的序説』を参照せよ。尚、全く同じとは言えないが、これに似た考え方は、ジェイムズの『純粋経験の世界』にも述べられている。
(5)『西田幾太郎全集』、岩波文庫、昭和四〇年(以下『全集』という)第一巻、二○九~二一○頁を参照。
(6)ジェイムズ自身でさえ、『信ずる意志』の中で次のように言っている。「われわれの間の最大の経験論者でさえ、反省に基づく経験論者にすぎない。」(W.B.,p.103)
(7)『全集』、第一巻、九頁
(8)前掲書、七頁
(9)『全集』、第一八巻、五九~六○頁、尚これは鈴木大拙宛の手紙の一部である。
(10)『全集』、第一七巻、一四八頁
(11)本来なら、ここでジェイムズの「純粋経験」説を述べるべきであろうが、すでに発表してあるので省かせていただく。ただジェイムズの定義したものの一つをここに紹介しておこう。「『純粋経験』とはその概念的範疇でもって、後に行うわれわれの反省に素材を提供する生の直接的流れに与える名前である。」(E.R.E.,p.93)〔傍点は私自身による〕そしてジェイムズのこの「純粋経験」説が「根本的経験論Radical Empiricism」へと発展していくのである。詳しくは拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第二章を参照せよ。また、本章に関しては第四章一○四頁を参照。
(12)西田の弟子の下村寅太郎は『西田幾太郎 人と思想』(東海大出版会)の中で次のように言っている。「純粋経験という概念はこの頃我が学生に流行していたジェイムズその他の経験主義の哲学から由来するものであろうが、しかしその思想そのものは決してこれから来たものではない。勿論これから心理学的分析や概念的説明の上に甚だ多くの示唆や洗練が獲られた事であろうが、本質的には打坐の工夫の裡から生まれたものではなかろうか。『善の研究』の純粋経験は確かにジェイムズ等のそれよりは遙かに含蓄と深部とを備えている。(五四頁)
(13)『全集』、第一巻、七頁
(14)S.P.P.,p.50
(15)『全集』、第一巻、四頁
(16)『全集』、第一巻、六~七頁
(17)西田の純粋経験について下村寅太郎は次のような興味深い省察を行っている。「……純粋経験は、生きた、能動的な、自己発展的な性格をもち、従って発展的な諸相が存在する。最も素朴な嬰児の意識から最も深い宗教家の意識に至る相の違いがある。何れも主格未分の純粋経験たることには変わりはない。しかし此処で重要なのは、最低の意識と最高の意識とが純粋経験として同一化されていることである。これは素朴な同一化ではない。これは西田の思想の独自性、或は一般に伝統的な東洋的な思惟の性格をなすものである。最も日常的或いは最も素朴な意識が最も高い意識と共通であるという考え方は東洋の独自な伝統的な思想である。」(下村寅太郎『西田幾太郎 人と思想』東海大学出版会、一八四頁)
(18)この考え方は高山岩男著の『西田哲学』の中の西田自身によって書かれた序に詳しく示されている。
(19)哲学の歴史を人間の気質の衝突の歴史と考えたジェイムズは、自分とは異なる思想を云々するとき、それの論理的なものによって批判するというよりも、それが自分の気質に「親しみがあるintimate」か「よそよそしいforeign」かによって賛否を示すという面白い思考習慣をもっていた。
(20)『全集』、第一巻、一一頁
(21)この点については、拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第二章、第六節を参照せよ。
(22)『全集』、第一巻、一一頁
(23)前掲書、同
(24)既述のように、経験を能動的なものとするのはジェイムズとて同様である。しかし経験を能動的なものにするために、高坂正顕が西田の純粋経験について言っているような「超個人的なもの」、「体系的なもの」へと発展していく必要はなにもないとジェイムズならば考えるのではあるまいか。純粋経験の概念はたしかに「全体」の観念をわれわれに呼びおこす論理性をもっているきらいがある。そうだからと言って、ジェイムズは「要素説」をもちろんのこと、「絶対者」の考えを導入する意図はさらさらもっていなかったのである。これについては拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』第二章がそのコンテキストのもとに述べられているので参照せよ。
(25)高山岩男「西田哲学」、角川文庫、四頁
(26)それ故、高坂正顕は『西田幾太郎先生の生涯と思想』の中で、西田がジェイムズとヘーゲルの綜合を目論んでいるとも言っている。
(27)『全集』、第一七巻、一四七頁
(28)『全集』、第一巻、一四頁
(29)前掲書、同
(30)竹内良知の『西田幾太郎 近代日本の思想家』(東京大学出版会)
(31)『鈴木大拙全集』、岩波文庫、昭和四五年、第二六巻、五一二頁
ついでながら「西洋の心理」を言えば、分析的、分別的、差別的、機能的、個人的、知性的、客観的、科学的、概括的、概念的、体系的、非人間的、合法的、組織的、権力的、自我中心的、自分の意志を他人へおしつけ的等の言葉が使われる。
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